なぜテトリスなのか—ゲーム検証の最難関課題

Antithesis は、ソフトウェア検証技術を開発する企業です。同社には独特の伝統があります。

社内の会議室をゲーム名で命名するのですが、その条件は「完全にクリアしたゲーム」に限定されるというもの。2019年以降、彼らは NES(ニンテンドー エンターテインメント システム)の名作を次々と検証し、マリオ、ゼルダ、メトロイドといったタイトルの「完全クリア」を達成してきました。

テトリスは「終わりのないゲーム」だからこそ、何をもって「完全クリア」とするかの定義が極めて難しいのです。

テトリスは他のゲームと根本的に異なります。マリオやゼルダのようにゴール地点やエンディングが存在せず、プレイヤーが失敗するまで延々と続きます。

Antithesis の創業者は、「勝利」をどう定義するかという問題に直面しました。その答えが「リバース」—レベルカウンターが 255 から 0 へロールオーバーし、再びレベル 0 の速度と色合いに戻る瞬間を目指す、というものでした。

著者自身、1990年代にヨーロッパの顧客訪問から帰国する飛行機の機内でテトリスに熱中した経験があり、2019年に同社に参画した際には、すでに他の同僚がテトリスの攻略に挑戦中だったといいます。空間認識能力を使ってピースを回転・配置し、ライン消去時の達成感を味わう—その魅力が、こうした長期プロジェクトへの執着につながっているのだと感じます。

Antithesis 独自のゲーム検証手法

Antithesis がテトリスをプレイする方法は、一般的なツール支援スピードラン(TAS)とは大きく異なります。

要素 一般的な TAS Antithesis の手法
アプローチ 完璧な入力を事前に計算・設計 ランダム入力を試行、有効な状態を記録
ロボット型 ゲーム画面を監視して反応 ゲーム状態を直接操作・評価
効率性 事前計画に依存 発見と試行に重点

Antithesis のアプローチの核は、NES ゲームの完全決定性を活かす点にあります。NES ゲームは、受け取るユーザー入力によって処理が完全に決定されるため、一度ゲーム状態をスナップショット(保存)すれば、その後の入力履歴さえあれば、任意の時点のゲーム状態を再現できるのです。

小さなランダム入力試行を何度も実行し、「興味深い」ゲーム状態を目標に応じて記憶していく—この反復的な探索が、彼らの検証哲学の中核です。

実装の詳細を見ると、エンジニアの視点からも興味深い設計があります。状態管理と入力追跡の組み合わせは、CI/CD パイプラインでのテスト自動化の考え方に近い面があります。一度「知られた良い状態」を確保すれば、その先への探索に集中できる—プロダクト開発でも応用できるアイデアではないでしょうか。

少年ゲーマーとの競争—最後の 95 レベルの壁

プロジェクトは当初、順調ではありませんでした。数年前に Antithesis は「テトリスを倒した」と宣言し、会議室に Tetris という名前を付けたのですが、その後状況が大きく変わります。

少年ゲーマーたちが、Antithesis の検証技術が到達していない領域で、人間の技巧を極限まで伸ばす方法を発見したのです。2026年初頭、著者は当初の宣言を前に「正直、後悔していた」と述べています。

著者は新しい部門への異動が決まっており、テトリスに割く時間は限られていました。しかし、レベル 160 で行き止まっている状態を前に、「今やらなければ永遠にやらないかもしれない」という危機感が生まれました。ここから本当の「サイドクエスト」が始まります。

詳細なプロセスは記事の後半で明かされるようですが、レベル 160 から 255 へ向けての最後の 95 レベルという距離感が、いかに大きな課題だったかが伝わります。

隠された動作と異常現象の発見

記事では、プロジェクト完遂に至る過程で「奇妙なグリッチ」が複数発見されたことが示唆されています。これは、レトロゲームの内部動作が現代でもまだ完全には理解されていない可能性を示唆しています。

NES 版テトリスは、1989年から 1990年代初期にかけて公開されたゲームですが、3 十年近くが経過した現在でも、高度な検証技術を投じることで新たな動作パターンが見つかるというのは興味深いところです。これは、単なるゲーム検証の達成ではなく、レトロゲーム保存とその動作理解の重要性を示す事例にもなり得ます。

プロジェクトが「奇妙な結論」に至ったにもかかわらず、著者が「それでも満足のいく終わり方だ」と述べているのは、発見プロセス自体に価値があったことを意味しているのだと感じます。

こうした取り組みは、参考記事で指摘されている PS3 ゲームストア終了やディスク生産終了といった業界動向との対比で考えると、別の意味も見えてきます。デジタルゲームが企業によって削除・廃止される時代だからこそ、レトロゲームの完全な理解と検証は、文化的・技術的な保存としての価値が高まっているのではないでしょうか。

今後のゲーム検証技術への示唆

このプロジェクトが明らかにした手法—ランダム入力ベースの状態探索と効率的なスナップショット管理—は、現代ゲーム開発やソフトウェアテスティングにも応用の可能性があります。

Antithesis の検証技術は、レトロゲームの遊びで実証されているに過ぎませんが、複雑なソフトウェアシステムのバグ発見やセキュリティテストにおいても、同じ原理が活用される可能性があります。特に、状態空間の爆発的な増加に直面するシステムほど、「興味深い状態」を効率的に記憶・評価するという考え方の価値は高まるでしょう。

ゲーム検証という一見遠い領域での挑戦が、実はソフトウェア開発全般の未来を示唆しているのです。