欧州の主要機関がW Socialへ移行—その背景

2024年6月12日、欧州委員会、委員長ウルスラ・フォン・デア・ライエン、欧州中央銀行(ECB)、ECB総裁クリスティーヌ・ラガルドといった主要な公的機関のアカウントが、Bluesky PBCから独立したATプロトコル対応SNS「W Social」へ移行しました。(出典)

この移行は、欧州がデジタル主権を強化しようとする取り組みの一環と見られていました。W Socialは、Blueskyのフォークとして立ち上げられた「欧州版X」を標榜し、以下の特徴をアピールしていました。

  • 本人確認機能による「ボットと偽情報対策」
  • 欧州内でのデータホスティング
  • 欧州企業による独立した運営

しかし、公式イメージと実際の運営体制には、重大な乖離があることが明らかになりました。

W Socialは、スウェーデンの企業家によって管理される民間営利企業です。その発足は不安定で、技術スタックに関する情報開示も充分ではありませんでした。実は、欧州にはすでに別のATプロトコル対応ネットワーク「Eurosky」が存在していました。

本当の欧州デジタル主権とは—Euroskyとの対比

Euroskyは、非営利団体Modal財団によって運営されており、開発プロセスは完全にオープンで、開発ロードマップをすべて公開しています。最近の進捗として、以下の成果が報告されていました。(出典)

  • Bluesky PBCのインフラストラクチャからの独立性を強化
  • did:plc(身元管理システム)のミラーリング実装
  • 欧州内のインフラで独自ファイアホースを運用開始
  • Blueskyアプリの完全な代替となるWebプラットフォーム「mu.social」のローンチ

ATプロトコル対応SNSが真の主権を持つには、以下の5つのコンポーネントを独立して運営する必要があります。

コンポーネント 役割 難度
Personal Data Server (PDS) ユーザーアカウント、投稿、フォロー情報、ID管理を保管 低~中
Relay(リレー) PDSインスタンスからのメッセージを集約し、AppViewに配信 高
AppView リレーからのデータをインデックスし、検索機能を提供 高
Moderation Service ラベル、ブロック、ミュート機能を管理 中
PLC(公開鍵インフラ) ユーザー名と公開身元の対応を管理 高

自分のPDSを運営することは現在、比較的簡単かつ低コストですが、他のコンポーネント—特にRelayやAppView—を運営するには相当なリソースと技術専門知識が必要です。

W Socialは欧州内でのデータホスティングを約束しながら、Bluesky PBCのインフラに依存しているかどうかについて、具体的な説明をしていません。

にもかかわらず、欧州委員会といった最高レベルの公的機関がこのプラットフォームへ移行したのです。十分なデューデリジェンス(適正調査)を行ったのか、という疑問が当然生じます。

W Socialの急転回—透明性の放棄

2024年6月15日、さらに衝撃的な報告がもたらされました。W Socialが、GitHubで公開していたアプリケーションのリポジトリを非公開にしたというのです。(出典)

これは正直なところ、非常に問題のある動きだと感じます。オープンソースを放棄するということは、以下を意味します。

  • セキュリティ監査が外部からは不可能に
  • 開発の透明性が失われる
  • バックドアやプライバシー侵害の可能性を第三者が検証できない
  • デジタル主権の理想—「ユーザーが技術を監視・統制できること」—から遠ざかる

欧州委員会のような公的機関がアカウント移行するということは、「このプラットフォームはセキュアで透明性がある」という暗黙の信号を発します。それが、実は非公開化されたコードの上で動いているとすれば、市民や他の公共機関の信頼を大きく損なうことになりません。

これは単なるスタートアップの「決定」ではなく、欧州全体のデジタル主権戦略における象徴的な失敗とも解釈できます。

欧州デジタル主権の理想と現実のギャップ

Googleが提唱する「欧州のデジタル主権への道」では、オープン性、パートナーシップ、公正な競争がグランドプリンシプルとされています。(出典)

欧州委員会のTech Sovereignty Packageは、ベンダーロックインの解消とオープンソース戦略に重点を置いています。しかし、W Socialの事例は、その理想がどれほど脆いかを露呈させています。

公的機関の信頼を得るために必要なのは、美しい標語ではなく、コードの透明性と第三者監査可能性です。

Euroskyのアプローチは、この点で対照的です。

完全オープンソース、全開発ステップを公開、非営利による運営——これらは市場競争力では劣るかもしれません。しかし、公的機関や市民からの信頼、そして真の主権という観点では、圧倒的に優位です。

問題は、欧州の意思決定者たちが、このような選択肢の違いを十分に理解した上で判断しているかどうかということです。