AI 時代に忘れられがちな「本来の想い」

AI による変革が喧伝される昨今、技術業界では異なる温度感が存在しています。一方では生成 AI の可能性に期待が寄せられ、他方では過度な商業化やいわゆる「蛇油商人的な」売り込みに対する批判の声が高まっています。

米国の tech ポッドキャスト「Aftermath Podcast」での議論の中で、編集者の Chris Person 氏がこう語ったとされています。

I love the computer. —Chris Person

この一言は、Hacker News で共有されたエンジニア Michael Enger 氏のブログ記事で詳しく掘り下げられています(参考)。AI の過度な期待値に対する正当な怒りが存在する一方で、Enger 氏が焦点を当てるのは、この素朴で率直な言葉の重要性です。

現在の AI ブームに対して違和感を覚えるエンジニアは少なくありません。その違和感の根底には、「コンピュータそのもの」への向き合い方が失われているのではないか—そういった問題意識が隠れているように感じます。

個人の「発見」から生まれた原動力

Eger 氏の記事は、きわめて個人的な告白から始まります。1990年代初頭、ノルウェーの小さな町で出会った IBM 486 DX6 という古いコンピュータが、彼の人生を大きく変えた という経験です。

当時、インターネットが一般的ではなかった時代、彼の「発見」の源泉となったのは:

  • PC 関連の専門誌—TEKNO、Geek、Incite PC Gaming、PC Gamer といった印刷媒体
  • ハードウェア・ソフトウェアへの好奇心—雑誌に付属していたフロッピーディスクや CD-ROM
  • コミュニティ・文化への憧れ—「ギーク」「ゲーマー」といったアイデンティティの模索

これらを通じて、Enger 氏は自分が本当に好きなものが何かを段階的に発見していきました。現在と大きく異なるのは、その発見プロセスに ポップアップ広告や engagement 最適化に支配された環境がなかった という点です。

インターネット黎明期の環境と現在の広告まみれの web 空間は、発見の質を大きく左右している。

「安定性」としての存在意義

Eger 氏が自分のコンピュータ経験を振り返る際に登場するのが、きわめて人間的な視点です。彼のセラピストが指摘したという説は興味深いものです:

転居が繰り返される不安定な生活環境の中で、コンピュータは「唯一の安定した拠点」だった という可能性です。

これは技術者的な関心だけでは説明できない、より本質的な側面を示唆しています。エンジニアの方の中にも、類似の経験—孤立感や不確実性の中で、コンピュータを「相手にできる唯一の存在」として信頼してきた人がいるかもしれません。

そうした個人的な「理由」を持つエンジニアが、現在の AI マーケティングや商業化の波に違和感を感じるのは、当然のことかもしれません。

AI 熱狂の「彼岸」にあるもの

Eger 氏の記事は、AI 批判というより、むしろ 「なぜエンジニアはコンピュータに惹かれるのか」という根源的な問い を提示しています。

これは参考記事「Why I email complete strangers」で述べられているような、古い技術(電子メール)への信頼や、直接的なコミュニケーション手段への執着と通じるものがあります。単なるノスタルジアではなく、シンプルさと信頼性への根強い価値観 が存在するということです。

エンジニアとして実感として申し上げると、現在のようにLLMやクラウドインフラの機能が急速に拡張される中で、「本当に自分たちは何をしたいのか」という問いを失いかねない危険性は確かに感じます。GPU 価格の動向を追い、新しいモデルの精度比較に注力するのも重要ですが、同時に 「その先にある、本来の目的」 を見失わないことが重要だと考えます。

現在地と未来への示唆

Eger 氏が強調しているのは、過去の PC 雑誌時代の文化的側面にも光を当てています。確かに当時の出版物には粗雑さや差別的な表現も多かったとの指摘ですが、同時に 「発見と学習の純粋な喜び」 がそこにはあったということです。

現代の開発者の方が直面するのは、より多くの情報とツールに恵まれている一方で、その情報の大半が商業化・最適化された環境から生まれているという矛盾です。Hacker News のようなコミュニティや、個人ブログでの深い思考や経験の共有が、なおも価値を持ち続ける理由はそこにあるのではないでしょうか。