数千冊が一夜にして廃棄される—米大学図書館の現実
2018年6月、米国とある大学の図書館裏に大きな緑色のゴミ箱が現れました。その中身は、数千冊の書籍です。情報科学の用語で「除籍(deaccessioning)」と呼ばれるこのプロセスでは、利用率の低い本が図書館の蔵書から削除される。
その背景にあるのは、図書館スペースの最適化という名目です。大学は図書館の改修工事を予定しており、開放的なラウンジスペースを作るため、本棚を撤去して空きスペースを確保する計画でした。
著者が聞いたのは本がゴミ箱に投げ込まれる「ひどい音」です。その音が、地下の研究室で執筆中の原稿作業を中断させた。この瞬間が象徴しているのは、単なる図書館の近代化ではなく、物理的な書籍という存在そのものの価値を問い直す時代への転換ではないでしょうか。
「利用頻度」という数字がもたらす誤り
除籍の議論は、数カ月前から始まっていました。図書館スタッフが作成したスプレッドシートには、貸出率の低い数千冊のタイトルが列挙されていた。大学の教員たちは数週間で「保存する価値がある本」を特定するよう求められました。
このプロセスそのものは、一見すると合理的に見えます。チェックアウト数の低い本を削除し、スペースを有効活用する。しかし著者が直面したのは、数字には現れない知的資産の消失でした。
著者が研究対象にしていた作家エディス・ウォートンの蔵書。そのコレクションは約3,000冊あり、現存するのは半分だけ。残る半分は歴史から消えた「幽霊図書館」として存在するのです。
消えた本の中には、ウォートンの『モルト家の娘』に直接的な影響を与えたとされるルイ・クーペルスの『エリーネ・ヴェール』も含まれます。スプレッドシート上では単なる「除籍対象」ですが、文学史的には極めて貴重な資料です。
物理的な書籍が記録するもの
ウォートンの図書館を5年かけて調査・デジタル化した著者だからこそ気づいた価値があります。本は単なる情報の容器ではなく、著者の読書の軌跡を記録する物質的存在です。
ウォートンの手元に残された本には、ペンで書き込まれたメモ、下線、余白へのスケッチが残されていました。一冊には「succotash」(19世紀のスラングで「ナンセンス」の意)という単語。別の本には、愛人ウィリアム・モートン・フラートンに宛てた4連の詩が手書きされていて、この詩はウォートンの他のどの著作にも存在しない。
こうした痕跡は、単なるアーカイブ対象ではなく、研究者が「知ろうとすること」がどのような道のりなのかを物語っているのです。ウォートンは6言語の本を読み、植物学から古代ローマまで幅広い領域の著作に目を通した。
その過程で彼女がどう葛藤し、どう成長したのか。それは数字化できない知的営為として、本の中に刻まれている。
デジタル化の時代に見落とされること
このニュースが示唆するのは、現在のIT業界と無関係ではありません。私たち開発者の世界でも、ローカルでデータを保有することの価値が問い直されています。
クラウドストレージが便利だからと、すべてのデータをクラウドに預け、物理的なストレージは最小限にする。これは大学図書館の「スペース効率化」と構図が同じです。
著者の研究から学べるのは、デジタル化は複製ですが、完全な移行ではないという点です。ウォートンの本のデジタル画像は確かに保存できますが、紙の質感、インクのにじみ、ページの折り目、さらには「その本が特定の人物の手を通ってきた」という物質的事実までは複製できない。
AI学習データとしてテキストを吸い上げることはできても、なぜそれを誰が読んだのか、どのように読まれたのかという文脈は、物理的な存在の中にしか保存されません。
学生たちの最後の抵抗
興味深いのは、この除籍に対する現場の反応です。除籍対象のリストが学生に共有されると、学生たちは削除予定の本を一気にチェックアウトしました。これは「最後の試み」でしたが、実は極めて本質的な行為ではないでしょうか。
データではなく、物理的な書籍を持つこと。それを読むこと。これは単なるノスタルジアではなく、情報をどのように社会に保存・継承するかという根本的な問題提起です。
「空間」か「知」か—優先順位の問題
大学図書館が改修され、開放的なラウンジが作られることは、確かに学生の快適性を高めるかもしれません。しかし失われるものは何か。著者が目撃した緑色のゴミ箱に投じられた数千冊は、誰かの研究、誰かの思考、誰かの歴史の一部です。
本記事を通じて浮かび上がるのは、デジタル化・クラウド化・効率化を推し進める現代における、何を優先するのかという問い。スペース効率かそれとも知的資産か。アクセス利便性かそれとも文脈の保存か。
IT分野で働く身として、これは他人事ではありません。私たちが推進するデータの一元化やクラウド移行、ログの削減やストレージの最適化。こうした判断の先には、何らかの「消失」が伴うのです。